年越しは砂漠で、ジャイサルメールのキャメルサファリ・3日目 / 世界一周94日目
2020新年は、ガイドのおじさんの「チャイー!チャイー!」という声で目覚める。時計を見ると朝8時で、11時間は寝た計算だ。途中、床が硬いためか寝返りが打てず何度か目覚めたが、すぐにまた寝れて昨晩のように寝れない、なんてことはなく快適だった。朝のあたたかいチャイを飲んで、フライパンでパンを焼いて朝食を取る。
昨日のガイドは寝るときはラクダに逃げないように重りをつけていたが、今日のガイドのおじさんは完全放牧していて、「ラクダ探してくるわ〜」と砂漠に旅立ち、30分ほどで4匹のラクダを探して戻ってくる。
このガイドのおじさん、もう30年以上もキャメルツアーガイドをしていて、55歳最年長とのこと。英語は文法無視の片言のながらの英語だが、意思疎通は十分できる(というか自分の英語もネイティブからしたら似たようなものな気もするが)。六人の子供と、三人の孫がいて、妻たちは村で暮らし、おじさんは時々村に帰る生活。ジャイサルメールなどの都市には、半年に一度ぐらい行くとのこと。
二千円を日本人にチップでもらったのだけど、これは何ルピーなんだい?換金屋に騙されないように相場を知りたくて、とのことで、換金屋にはレートが出てるよね、というと、数字が読めないらしい。なるほど、アルファベット数字ぐらいは識字率に関係なく誰でも読める、と思っていたのだがそうではないようだ。なお、インドは多言語の国でもあるので、お金には10言語以上の表記で金額が書かれている。
昔は車でこの辺まで送る、みたいなツアーではなく、ジャイサルメールの街から砂漠までラクダで移動したとか。また給料は月に4000rs(6000円強)、見習い次は2000rsでラクダは全部ボスのもの、もしラクダを無くしたら給料から引かれる(というか借金になる)。ただ、観光シーズンじゃない時はラクダの世話をして、そのときも給料が出るとのことで、出来高制の変動収入より、固定収入の方が嬉しいのだろうなぁ。
また1日2ドルが貧困ラインというが、そのラインギリギリ(実際はチップがあるからもうちょっと収入はあるのだろうが)で、「子供がたくさん居るとチャパティ(日本における米のような)も満足に食べられない。靴もなかったよ」と大変な生活だ。この辺はまだまだカーストの慣習も残っているようで、都市、いや村に住むこともカーストによって難しいのかもしれないなぁ、と思ったが流石にプライベートな話なので深くは聞けなかった。
みたいは話をあれこれしつつ、今日も草原を巡りながらゆっくりする。途中、幾つもの立てかけの家を見かける。土地はたくさんあるので、前の家に住みつつ新しい家を建てる、そしてその速度はゆっくりなので立てかけの家がたくさんあるようだ。
別のラクダ使いのおじさんがやってきて、しばし話し込んでいると、ラクダ同士が喧嘩をし始めて、ラクダを諫めるのに杖で叩いたりと大変。片方のラクダが思いっきり首を噛みついて、痛々しい噛み傷からは血が流れる。そしてその傷の治療と、チリパウダを傷口にまぶし治療だ、というのだが果たして正しい治し方なのだろうか。
そんな感じで何もが新鮮だったキャメルサファリは終わりを告げ、車で町に戻る。途中ドライバーが生まれ故郷という村に立ち寄り、チャイをもらう。村中の子供たちが集まってきて、珍しそうにこちらを伺っている。ドライバー曰く、外国人は珍しいから連れていくと喜ぶんだよ、とのことだった。
町に着く前ごろにはすっかり暗くなり、車のライトをつける、かと思いきや付けたのはハザードランプ。ヘッドライトは壊れているようで、なるほどそのような明かりの付け方(すくなくとも車がいる、ということは示せる)があるのか、と感心したのであった。そんな元旦の一日であった。