心のざわめきを無くして日記を書くということ / secon.dev への移転
このブログや、2nd lifeの記事、また無くなってしまったはてなグループ SubTech に書いていた記事をsecon.dev ドメインに移転した。あわせて、ブログシステムを、はてなブログから静的ジェネレータのによる生成に切り替えた。
心のざわめきをなくして日記を書くということ
日記や文章を書いてインターネットに書くモチベーション、というのは常に心のざわめきとともにあった。ホームページのカウンターから始まり、アクセス解析、コメント、トラックバックといった「自分が誰かから見られている」感とともに育った。2005年のはてなブックマークを皮切りに、人気の記事というのが視覚化され、さらに注目を浴びている感が出て、当時は人気になりそうな記事を書いた後は、どれだけ注目されるのか、わくわくしながらブラウザをリロードしたものだ。もちろん、時々は辛い言葉を浴びることもあるのだけど、それも一つの評価、として受け取った。
スマートフォン時代が到来し、インターネット人口が増えるとともに、さらにざわめきは加速する。はてなスターでのカジュアルライク、Tumblr での reblog と言ったものが出てき、今やほとんどのサービスで Like / Re:Xxx といった気軽なフィードバックがおくれるようになっている。
これらの機能は心にざわめきをおこし、人気が出ると嬉しい。人気が出る記事や写真を意図的に考える。うれしいざわめきは、中毒症状をおこし、Notification のタイムラインをリロードする日々だ。そして投稿が自分の期待値を下がると悲しい。これらのざわめきを起こす機能を持ったサービスを使うと、常に他者からの評価とともに生きることになる。
若い頃は、そんなざわめきが楽しかったりもしたのだけど、今はどうだろうか?投稿後、ざわめきが気になってしまうことは良いことなのだろうか?
と、ソーシャル連携を切ったり、はてなスターを非表示にしたりするうちに、こちらのほうが日記を書けることに改めて気づく。「評価されない」ことが前提だと、評価されることをそもそも期待すらしないので、心がざわめかない。知り合いが「見たよ」とか声をかけてくれたり、妻が写真美味しそうだね、と言ってくれる、何気ないコミニュケーションで十分なのだ。
はてなブログはそんな心のざわめきを、機能的にもだいぶ消すことができる。ただ、ブログを書くときの右上に出続けるお知らせがどうも気になってしまう。「あなたの今月のPVが100を突破しました」。ブログを書くことに特化した禅モードなどあればよいのだけど。
自分のサイトを持つ、ということ
また話は変わって、自分のサイトを持つ、ということを改めて考えた。昔は、誰々と言えばあのサイトといったアイデンティティが確立されていた。自分のドメインを持つ人、はてなの各種サービスで完結する人、などなど。しかしながら、今は多様多種のサービスが出ていて、あの人と言ったらこのサイト、という場が無くなってきている。
時代の流れ的には、URL の Permalink があまり意味をなさないモバイルアプリに全面的に移ってきた今、URL は意味を失いつつあるのかもしれない。ただ、自己を取り戻すためにも、自分のサイトを持ちたい、と改めて思ったのであった。
そんなわけで、はてなダイアリー時代から含めると、16年ほど書いたり書かなかったりしてきたはてなブログを離れ、自分のサイト、で更新をすることにした。
ありがとう、はてな(ダイアリー|ブログ)。なお移転先のサイトはこちら。